セガ年表(2000年まで)
年代主な出来事コメント
2000年DCでのインターネット接続人口国内50万人突破

今期業績を下方修正、CSKと大川会長から1000億の増資

セガを辞めた中山氏、新ゲーム会社設立

セガとマイクロソフト、X-BOXの共同開発に関する交渉が決裂

世界初の全世界通信対戦を実現

米国ラムバス社が日立製作所とセガを提訴(後に和解成立)

ソフトウェア研究開発部門を分社化

株式会社ISAO設立、2000年度 CSK・SEGAグループの戦略と概況

セガ、ブロ-ドバンドサ-ビス開始、セガ・プロバイダも有料化にサービス名は「isao.net」

(株)イサオの代表者が異動、セガの入交社長が副会長に大川会長が社長を兼任

社名を「株式会社セガ・エンタープライゼス」から「株式会社セガ」に変更

代表取締役の異動と新経営体制を発表

セガ直販ECサイト「Dreamcast DIRECT」リニューアルオープンから24時間で3500万円の売上達成!

セガ、新宿ジョイポリスを8月末日で閉館

業務用CG基盤『NAOMI2』発表、『NAOMI』の新流通戦略

セガ、ナムコ物流事業を統合

世界初のブロードバンド対応全世界ネットワークRPG「ファンタシースターオンライン」発売

セガの買収報道が流れる
●2000年3月期決算で当期損失が109億円から353億円へ、経常損失が102億円から343億円に赤字幅が拡大すると発表。(CSKグループ総帥の大川功氏、セガについて大いに語る ZDNet)

●元セガの副会長であった“中山隼雄”氏は、徳間書店・東北新社・日本テレビ・TOKYO FM・三菱商事らの出資のもとソフトウェア開発会社「株式会社キャビア」を設立、その代表取締役社長に就任。

●昨年末以降、DCとX-BOXの互換機をセガと共同で開発しセガが生産を担当する方向で交渉していたが、ロイヤリティーやコストの問題で折り合いが合わなかった模様。(「セガとX-Boxが組むという可能性はあるが、Dreamcastを絡めた“何か”はぜったいにない。」PC Watch)

●第4回日本ゲーム大賞でDCソフト「ソウルキャリバー」がプログラミング賞を、「シーマン」が優秀賞・最優秀ニューウェーブ賞・ニューウェーブ賞を受賞。

●公共施設にVR技術を提供。

●DCの周辺機器「Dreameye」発表。

●DC用のネットブラウザ「DreamPassport3」が新機能追加で大幅バージョンアップ。

●DCのゲーム配信サービス「ドリームライブラリ」開始。

●ドリームキャストに「セガカラ」が移植。

●「ジェットグラインドラジオ」「サンバDEアミーゴ」各部門で最優秀賞受賞。(E3)

●ぐるぐる温泉の入場者が150万人を突破。

●『ドリームキャスト』の海賊版ゲームがオンラインに流出。(CNET JAPAN)

●DreamcastDIRECTがリニューアル、売上も好調でブラックDCが限定発売。

●『スペースチャンネル5』の“うらら”が米MTVミュージック・ビデオ・アワードのイメージキャラクターに
1999年リストラ発表、従業員1,000人削減101店閉鎖

経営再建へ、ソフト開発部門・アミューズメント施設事業・ネットワーク事業部門をそれぞれ分社化

セガのカリスマ“中山隼雄”副会長退陣

『シーマン』が第3回文化庁メディア芸術祭で優秀賞を受賞

ドリームキャストの本体価格を世界標準価格として19,900円に値下げ

ドリームキャスト欧州と北米で発売、米国でマシーン・オブ・ザ・イヤーに選ばれる
●1999年3月期決算で特別損失330億円を計上し、連結最終損益が約450億円の赤字になると発表。

●CSKの大川会長、セガの中山副会長、入交社長の3人はドリームキャストの発売時期をめぐり衝突。結果、セガを辞めた中山氏は人材派遣会社「株式会社パソナ(多分ここ)」の会長に就任。

●パソナルームの発覚。

●第3回CESA大賞でDCソフト「ソニックアドベンチャー」が審査員特別賞を受賞。

●ドリームキャストが米国タイム・マガジン社が発行する「タイム・デジタル」で、'99年度の「マシーン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。DCはインターネットへの接続環境を標準搭載していることが最大の特徴。これ以外にも3次元コンピューターグラフィックスや音声の再生能力、DCと連動する携帯ゲーム端末機「ビジュアルメモリ」などが評価された。

●湯川専務、ドリームキャストの品不足の責任を取り常務に降格するも年末にはセガ・ミューズの会長に就任。

●ドリームキャストのチャットサービスが運用中止。

●「後藤喜男」キャンペーン、イメージキャラクターになる…どころか意味不明のまま消息を絶つ。
1998年セガの“中山隼雄”社長、副会長に。“入交昭一郎”副社長、社長に就任

新世代ゲームマシン「Dreamcast(ドリームキャスト)/29,800円」発売

業務用DC互換基盤「NAOMI」発表

コンパイルの経営不振による和議申請に伴い、「ぷよぷよ」シリーズの知的財産権を取得
●セガテックとセガ・ヨネザワが合併し、セガトイズ設立。ヒット商品は子供知育コンピュータの『PICO』。

●セガ・ユナイテッドとムーミンが合併、流通機構を統括するセガ・ミューズ設立。

●『バーチャファイター』シリーズが、ワシントンにあるスミソニアン博物館の「1998コンピューターワールド・スミソニアン・アワード」を受賞。一連の資料は「アメリカン・ヒストリー・ミュージアム」館の「1998年イノベーション・コレクション」として展示・保存される。

●サターン版『バーチャファイター3』発売中止。

●セガ、「落武者」の新聞広告が話題に。また自社の自虐的キャンペーンにより“湯川専務”がイメージキャラクターに。
1997年セガとバンダイの合併を発表、新社名「セガバンダイ」に●1月に合併を発表するも、5月には合併解消に。以後、両社は協力関係という形に落ち着く。

●「セガサターン、シロ!」キャンペーン、“せがた三四郎”がイメージキャラクターに。
1996年廉価版の白い『新型サターン/20,000円』と周辺機器「サターンモデム(14.4kbps)/14,800円」発売。●サターンでもインターネットやニフティサーブへアクセスでき、プリペイドカードによる課金で対戦ゲームが楽しめる「X-BAND」も利用できる。'99年7月、「X-BAND」サービス終了。

●東京臨海副都心に「東京ジョイポリス」開業。

●MODEL3基盤『バーチャファイター3』『バーチャストライカー2』発表。

●サターンにWARP参入、『E0』をプレステからサターンに変更。

●サターンソフトにおける年齢制限「X指定枠」を撤廃。

●サターンソフト『サクラ大戦』の“真宮寺さくら”がイメージキャラクターに。
1995年セガ/アトラス『プリント倶楽部』発表●セガサターン「5,000円キャッシュバック」キャンペーン、年末に累計出荷台数200万台突破

●日立製作所から互換機の「Hi-サターン」
1994年MODEL2基盤『バーチャファイター2』発表
次世代ゲームマシン「セガサターン/44,800円」発売
●ゲームセンターで『バーチャファイター2』、セガサターンで『バーチャファイター』が大ヒット。これ以降、ポリゴンを使ったゲームがブームになる。

●セガミュージックネットワーク設立。ヒット商品は通信カラオケ「プロローグ21(通称セガカラ)」。

●メガドライブの本体パッド一体型マシン「メガジェット/15,000円」、32bitアップグレードブースター「スーパー32X/16,800円」発売。

●日本ビクターから互換機の「V-サターン」発売

●サターンソフト『クロックワークナイト』の“ペパルーチョ”がイメージキャラクターに。
1993年“入交昭一郎”氏、セガ・エンタープライゼスの代表取締役副社長に就任●元・本田技研工業副社長を経て、中山氏にスカウトされる。

●廉価版ハード「メガドライブ2/12,800円」「メガCD2/29,800円」「ワンダーメガ2/52,800円」発売。

●パイオニアから上位互換機の「レーザーアクティブ/128,000円」発売。

●キッズコンピュータ『PICO』発売。

●MODEL1基盤『バーチャファイター』発表、ポリゴンを使用した対戦格闘ゲームとして注目され“AM2研”の名を世に知らしめる。
1992年コイル裁判●アメリカの発明家“ジャン・コイル”氏が「低周波音声信号を使ったカラー画像表示技術」でセガと任天堂を告訴。
任天堂は和解したがセガは敗訴、賠償金は約57億円。

●MODEL1基盤『バーチャレーシング』発表

●日本ビクターからメガドライブとメガCD一体型マシン「ワンダーメガ/82,800円」発売
1991年『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』発売●セガの“ソニック”が海外で大ヒット、セガのイメージキャラクターになる。

●IBM-PC互換機とメガドライブの一体型パソコン「テラドライブ」発売。

●メガドライブ用CD-ROMドライブ「メガCD/49,800円」発売。
1990年セガ、東証1部上場企業に●携帯型ゲームマシン「ゲームギア/19,800円」発売。

●メガドライブ用周辺機器「メガモデム(1200bps)/12,800円」発売。家庭用ゲーム機初の通信サービス(ゲーム図書館)として登場するも普及には至らなかった。

●全方位360度可動筐体「R-360」、『G-L.O.C.』『コラムス』発表。
1989年業務用『アレックスキッド THE LOST STARS』発表。●“アレックス・キッド・オサール”、セガのイメージキャラクターに。

●メガドライブ版『テトリス』発売中止。
1988年セガ、東証2部上場企業に●家庭用ゲーム機初の16ビットマシン「メガドライブ/21,000円」発売。同時期に、任天堂「スーパーファミコン」発表。

●ロシア生まれの落下型パズルゲーム『テトリス』、『UFOキャッチャー』発表。

●マイケル・ジャクソン、来日公演の合間を縫ってセガ本社来訪。後に、『MICHAEL JACKSON'S MOONWALKER』としてゲーム化。(メガドライブ・アーケード)
1987年家庭用ゲームマシン「セガマスターシステム/16,800円」発表●セガ・マークIIIとの後方互換性を保ちつつ、別売りオプションであった「3Dグラスアダプタ」「連射装置のラピッドファイヤー」「FM音源ユニット」を内蔵して発売。同時期に、NEC「PCエンジン」発表。
●『アフターバーナー』『アフターバーナーII』発表。
1986年セガ、株式を店頭公開●業務用ドライブゲームの『アウトラン』、横スクロールシューティングの『ファンタジーゾーン』発表。
『ファンタジーゾーン』の“オパオパ”がセガのイメージキャラクターになる。

●家庭用『アレクのミラクルワールド』発売。
1985年新風俗営業法施行 ゲームセンターは、24時以降営業禁止に●世界初の体感ゲーム『ハングオン』『スペースハリアー』発表。

●セガ・USA設立

●SGシリーズとの後方互換を保ちつつ、ライバルのファミコンを意識した「セガ・マークIII/14,800円」発売。
1984年セガ、CSKグループの傘下に入る●親会社のセガ株売却の動きに対し、セガ存続を図る中山副社長はCSKグループ(会長は“大川功”氏)に資本出資を求め、米国本社から日本のセガを買収。売り値は、約100億円ともいう。(中山氏、セガの社長に就任。湯川氏、セガに異動後『ロボピッチャ』のCMに出演)

●セガ・ヨーロッパ設立

●「SG-1000」の後継機「SG-1000II」発売。
1983年セガ初の家庭用ゲームマシン発表「SC-3000/29,800円」「SG-1000/14,800円」を発売。
「SC-3000」は汎用コンピュータとしての機能もある。SGは“セガのゲーム機”、SCは“セガのコンピュータ”の意味。
1981年『フロッガー』発表
1979年“中山隼雄”氏、セガ・エンタープライゼスの代表取締役副社長に就任●「エスコ貿易」での経営手腕を買われ、セガにスカウトされる。

●『ヘッドオン』『モナコ・グランプリ』発表。
1968年湯川英一氏、CSKの第1号社員として入社
1967年「エスコ貿易」社設立ゲーム業会に誕生した初のディストリビューター(卸問屋)として、「V&V」社から“中山隼雄”氏が独立後、創立。
1965年「株式会社 セガ・エンタープライゼス」に社名変更外資系企業のアミューズメント機器会社「ローゼン・エンタープライズ」社と合併、「ガルフ&ウェスタン インダストリーズ」社の資本下のもと、子会社のひとつになる(社長:デヴィッド・ローゼン)。
会社の体制もジュークボックスからビデオゲームにシフトし、オリジナル・ゲーム『ペリスコープ』『セガ・ミサイル』『セガ・グランプリ』を相次いで発表。
1957年「サービス・ゲームズ・ジャパン」に社名変更1960年、国産のジュークボックス完成。サービス・ゲームズの「SERVICE」からSEを、「GAMES」がらGAをとり、『SEGA-1000』と名付けた。後の“SEGA”の由来はここにある。
1954年「サービス・ゲームズ」に社名変更
1951年「レメーヤー&スチュアート」社設立“R・J・レメーヤー”“リチャード・D・スチュアート”の両米国人により、ジュークボックスの輸入販売会社として創立(社長:R・D・スチュアート)。
この当時、ライバル社である「V&V」社(には、元セガの副会長“中山隼雄”氏が在籍)、「太東貿易」社(『スペース・インベーダー』で有名になった、現タイトー)を含めて『ジュークボックス業界の御三家』と呼ばれていた。

参考資料:「セガが21世紀を支配する/馬場宏尚 著」「SEGASATURN Magazine」「Dreamcast Magazine」「gM」「ゲームラボ」「ファミ通DC」